パニック障害を抱えて妊娠・出産・子育てを行った体験談



 

パニック障害を抱えながら、妊娠・出産・子育てを行っていくのはとても大変なことです。

妊娠中であれば、服薬している抗不安薬や抗うつ剤の使用は控える必要がありますし、出産に至っては、お産中にパニック発作が出てしまったらどうしよう…という不安はどなたにでもあるのではないでしょうか。また、無事に出産しても、今度は24時間の育児が待っています。

この様な、妊娠期から子育て期までをパニック障害と闘いながら乗り切ってきたお母さん方に体験談を書いて頂きました。

どの方々の体験談を読んでも、非常に過酷な環境のなか頑張ってきており、これから出産を控えている方や出産後の子育てに不安を感じている方の励みになるのではないかと感じます。

皆さんに感じて欲しい事は、

  • パニック障害だからといって妊娠や出産を諦める必要はないということ
  • 子育てが不安かもしれないが、それぞれ、なんとか工夫して乗り切っていること

です。

それぞれの方々から、これからのママたちへのアドバイスなどもありますので、ぜひ参考にしてください。

もし、私も体験談を書きたいという方がいらっしゃいましたら、お問合せよりご連絡ください。

 

パニック障害を抱えて妊娠・出産・子育てを行った体験談

投稿者のお名前をクリックすることで体験談を見ることができます。

 

わたしがパニック障害になった経緯

小・中・高・専門学校と、大した病気もなくどちらかというと健康な方でした。

背が高くどちらかというと体を動かすのも好きで、友達と電車やバスに乗ってよく出かけたり旅行するもの好きで、免許も合宿で取るほどでした。

パニック障害だと診断されたのは12年前。長女を出産して1年後、グループホームで働き始め、半年ほどたった頃でした。自身の異変に気付いてはいたものの、心療内科を受診するまでには様々な経緯がありました。今思えばきっかけは妊娠・出産によるホルモンの変化と生活の変化。自分が親になるというプレッシャー等が関連していたように思います。

専門学校卒業後に広告会社に就職し、2年経った頃に妊娠がわかりました。まだ結婚もしておらず、同い年の彼は就職もしていなかったので反対されましたが、私の意思で産むことに。私の両親もやむなく賛成してくれました。

妊娠してからは会社を辞め、友達との交流も避けました。結婚する前に妊娠しているなんて恥かしいことだと思い、隠れて暮らしたかったからです。

実家暮らしでしたが妊娠6か月頃に貯金をはたいて引っ越し、家族とも離れて暮らしました。産むのを許してくれたとはいえ、父から多少やっかまれていたからです。

引っ越し後、彼と暮らし始めました。ちょうど正社員の仕事が決まりましたが朝早く出て深夜まで帰らないこともあり、家で1人で居ることが多くなりました。このころから動悸や気分不良に苛まれることが多くなりってきたのです。

妊娠周期的にも赤ちゃんが大きくなり胃や横隔膜を圧迫して、呼吸が浅くなったり動悸がしたりする時期だとわかっていたのですが、1度1人で入浴中に急に気分が悪くなり、「赤ちゃんに何かあったんだったらどうしよう」と思い浴室を飛び出しトイレに行きました。すると激しい下痢と吐き気に襲われました。そしてなかなか呼吸が落ち着かず、浅い呼吸で動悸も止まらず、「このまま死ぬんじゃないか」と思うほどめまいがしました。なんとか母に連絡し、母が来る頃には落ち着いていました。

ですがその後妊娠8か月の頃にも同じような症状が起こりました。腹痛や下痢があり、呼吸が乱れてきたと思ったらその時は過呼吸がおさまらず、ついに母が救急車を呼びました。大事には至らず、赤ちゃんも元気でした。

それから私は外に出ても「また腹痛があったらどうしよう。また呼吸が乱れて救急車を呼ばれたり、周囲に迷惑をかけたらどうしよう。」と思うようになりました。同じような不安を持った人に相談ができていれば良かったのですが、その頃はまだ彼が結婚してくれなかったので「隠れてくれさないといけない」と思っていた若いころの私は誰にも相談できず、今思えばそれが症状をより悪化させていたのだと思います。

無事赤ちゃんを出産した後も症状は続き、育児の大変さも相まってエレベーターに乗るのにも動悸が伴うようになっていました。1か月健診の時に精神科でも診てもらうように言われ診察を受けましたが、よくある育児ノイローゼという結果でした。

最終的に私がパニック症であると診断を受けるまで約2年かかりました。それまでは「どうして私だけみんなと同じように普通に生活できないんだろう」と疑問に思いながらも旅行はもちろんの事、電車移動でさえも最低限にとどめる、行動範囲の狭い生活を余儀なくされていました。

パニック障害をかかえて妊娠・出産・育児をするという事

医師から『パニック障害です』と診断されてからは、抗うつ薬と抗不安薬を1日3回飲む生活が続きました。

その頃、2人目の妊娠が分かり戸惑ったのを覚えています。どちらの薬も妊娠中にはお勧めできない薬だったので、薬を服用せずに生活を送ることがとても不安でした。

1人目の妊娠から2年半で妊娠がわかったので、抗うつ薬と抗不安薬を飲んだのは約6か月間だけ。あとは屯用としてのみ使用しました。今でも使っています(抗うつ剤は卒業)。

出産後も母乳栄養だったので、抗不安薬は多用できません。そして私の場合、子供を連れて病院行く際、いつでも待合室でパニック発作にあいました。とにかく「そこから動いてはいけない」というシーンになると、必然で症状が出ていたのです。

腹痛がセットなので、トイレが近くにあるところでないとダメでした。頭の中では『病院なんだから何があっても大丈夫』とわかっているのに、どうしてか過呼吸や腹痛、死んでしまうんじゃないかという心境になってしまう…。

子供といたら動物園・水族館・映画館・・・と、しょっちゅう拘束されるのに、その度に頓服の抗不安薬を服用しないといけませんでした。

パニック障害と向き合う

患って12年になりますが、正直まだ「私は普通の人と同じようにできない」と悩んでいます。薬に頼らないと車や電車にも乗れません。調子の悪いときはエレベーター内で吐き気や動悸がします。電車に乗っていて信号待ちやなんかで電車がストップした時には、車内で倒れそうになりました。

こんな私でも、妊娠中に母に救急車を呼ばれて以来、1回も呼ばれていません。つまり薬をうまく用いて、周囲の人に迷惑をかけない生活が送れているという事です。頭の中ではわかっていても、不安やパニック症状が自分のコントロールできないところにあるのがパニック障害。いつまた過呼吸や死ぬかと思うような不安に襲われるかと思うとドキドキします。

こんなことを10年以上続けて思ったことは、「焦っても仕方ない・できないことはしないでいい」という事でした。自分がこんなじゃなかったら子供をいろんなところに連れて行けるのに。グルメや旅行、ディズニーランドにも。そんなことは考えなくていいという事です。

私の場合はこの病気と長く付き合うことになっていくと思うので、余計にそう思います。時間が解決するだろうという心構えが治療を支えてくれ、母乳栄養が終わった今でも抗不安剤は屯用のみで生活ができています。お守りとしていつでも財布に薬は入っていますが…。

パニック障害を抱えて妊娠・出産・子育てを行っていくママたちへ

パニック症は治せない病気ではない!というお医者さんもいらっしゃいますが、私自身が10年以上治療中なので何とも言えません。というか『一生をこの病気と共にするのかなー』くらいの気持ちです。なので解決の糸口を見出したい方にはあまり響かないかもしれませんが、どうか治療を焦らないで欲しいと思います。

早く治したかった頃の私は、1駅くらいなら大丈夫。今日は調子がいいから飲まなくても行ける!と思って薬を飲まずに出発しパニック発作に見舞われ、何回も後悔しました。子供にも「ママ大丈夫?苦しいの」と不安を持たせてしまい、今でも電車に乗るときは「ママ苦しくなったら言ってね」心配そうにしています。

周囲のためにも自分に嘘をつかず、無理なことはしないのが1番です。『ママの幸せが家族の幸せなんだなあ』とつくづくそう思います。

また今パニック障害のような症状で悩んでいて受診を躊躇されている方。なるべく早めに受診されたほうが楽になるかもしれませんよ。私も心療内科受診までは時間がかかりましたが、今では行っててよかったと思っています。

遠出しないといけない盆や正月は憂鬱で仕方ありませんが、これがいつかは思い出話になるといいなと思いながら、日々を過ごしています。

 

兵庫県神戸市 35歳 N.F様の妊娠/出産/子育て体験談

私は現在33歳で5人の子供の母親です。今回パニック障害について、体験談を元にアドバイスなどお話しさせて頂きます。精神疾患は、完全な治療法もないため大半の病と一生付き合っていかなければいけません。一人で悩んでる方の気持ちの一歩前進のお手伝いできたらいいな…と思います。

まず私が発病した経緯についてお話しします。

私は小さい頃、今の時代で言虐待を受けながら育ちました。四歳頃まで父親とおばあちゃんに育てられ、父親を兄のように(以降お兄ちゃんと書きます)、おばあちゃんを母親のように思っていました。

五歳になったある日、お兄ちゃんがお姉さんを連れてきました。遊んでくれる優しいお姉さんでした。それが頻繁になり、六歳になったある日

「今日からお母さんて呼んでね。」

と、そしてその日からお兄ちゃんは、遊んでくれなくなり、お兄ちゃんの部屋へ入る事も禁止になりました。気付けば、私は私だけのスケジュールをお母さんが作り、その通りの生活を送る事になっていました。

今思えば、六歳でよくやっていたなぁ・・・と思います。

朝5時に起き犬の散歩、5kmのマラソン、乾布摩擦、朝の決められた勉強、自分でご飯作り食べ、洗濯を干してから登校。

門限は4時。もちろん遊ぶ時間なんてありません。就寝は8時でそれまでは、勉強や習い事をして過ごします。

言われた通りの生活をしてても、お母さんが機嫌の悪い日は、痛みが麻痺してわからなくなるくらい叩かれました。習い事のエレクトーンの練習で、間違うと椅子から落ちるくらい叩かれました。今でも、何で叩かれてたのかわからない事ばかりです。

おばあちゃんに

「お母さんに叩かれる」

と助けを求めた事もありましたが、その後おばあちゃんがお母さんからイジメられているのを見て、もう言うのをやめよう。と自分で我慢する事にしました。

お母さんはどんどんエスカレートし、八歳になる頃、妹が産まれました。

お母さんは子守りを小学生の私に押し付け、妹が泣くたび私は叩かれ、妹が喋るようになった頃

「あの人の所は汚いから行ったらあかん。」

と妹に言い、私と妹は喋る事も禁止されました。

その頃ようやく、自分の置かれている立場がおかしい事に気付きました。

お父さん、お母さん、妹は一緒にご飯食べて一緒に寝ます。ご飯食べながらTVも見ます。

私は、隔離された部屋で決められた事をこなし、お母さんの八つ当たりの的でしかありません。

 

お母さんがある日男の人を連れてきました。私が小学五年生の時です。されるがままその時間は終わりました。

すると、翌日から代わる代わる男の人が来るようになりました。

たまに顔を見せるお母さんは私に、

「汚い子やなぁ。死んでしまえばいいのに」

と、寝てる時首を絞められ苦しくて目が覚めた事もあります。

【何秒で目覚めるか】

と、賭けをしてたようです。

人が怖くて何も信じられなくて、『何で生きているんだろう。』・『私は何なんだろう・・・』と。

家が怖かった。夜が怖かった。人が怖かった。自分は生きてたら迷惑だと教えられたあの頃。

あの頃からいろいろな病と向き合い生活している今に至ります。

私が抱えてる病は大きく分けて、躁鬱、不眠症、摂食障害、解離性障害、パニック障害です。今回は、パニック障害に焦点を当ててお話ししたいと思います。

全て小さい頃に患い、現在も治ったものは、ありません。

 

パニック障害は、人混みの中で起こるものと思ってる方も多いと思いますが、いろんな形があります。

私を例に挙げると、家の中にいて来客がきてインターホンが鳴った時、悩んでるときふいに鳴る電話の音でもパニックが起こります。

今でも克服できず誰か来ても玄関に出れません。

電話も着信をみて落ち着いてからかけ直すようにしています。

もちろん人が沢山いる場所でも発作は起こります。

不便な事は沢山あります。

例えば、保育園に行けない。参観授業に参加できない。日常の買い物も行けない日もあります。パニックの発作を人前で起こすのが嫌で悩んだあげく行けない。と言う結論になります。

妊娠中の、定期検診も陣痛がきてから、病院に行くまでの、道中も毎回心臓バクバクでした。

子供を産んでから、私の場合は、ありがたい事に子供に毎回助けられています。

私の姿を見て育ったせいか、子供全員年齢以上、一般の大人でもわからないような、私の考えを先々読み行動してくれます。

教えたわけでは、ありませんし、どこの子供もそうなるか?と言われるとそうでは、ありません。

買い物行けない日、来客の対応も子供がしてくれます。

 

ありがたい反面、甘えられない子供にしてしまって申し訳ないと思っています。

パニックから過呼吸の発作が起きた時も、子供が1番わかっていて、まず部屋の電気を暗めにし、TVなど音の出るものを全て消し、長男一人だけが何を言うでもなく側にいてくれます。

呼吸ができなくなる時も、私の横でゆっくり呼吸する。

ただ黙ってそれを繰り返してくれます。

長くても1時間でおさまります。

そのような発作は繰り返す事も子供は分かっていて治まったからといってすぐTVつけたりは、しません。子供同士で喧嘩しててもみんな黙ってくれます。

私の経験上発作の時の周りの音が早く治まるか長引くかを、左右する一つの原因と言えます。

発作が起こり息苦しさや、意識が朦朧としたりで救急車を呼ぶ人も沢山いると思いますが、実は救急車の近づいてくる音で発作に輪をかけているんです。

過呼吸発作の場合、鼻で吸い口で吐く。を繰り返してると自然に治まります。

一般的によくやる、紙袋で口を覆う。ということは間違いでは、ありませんが確実に治す方法でもありません。

呼吸困難もゆっくり呼吸しているうちに治まります。

動悸や目眩が起こった場合は今日は、やめておこう。と言う選択肢も頭に入れておいた方がいいです。

心の病だけは、人にもわかってもらえないし、救急車で病院に搬送されたとしても、医者は何もできません。

場合により、セルシン(安定剤)を注射してくれる場合もありますが、ほとんどの場合はベッドの上で発作が治まるのを待つだけです。

体調がすぐれない、また事前から嫌だなと感じる場所へ行く事は避ける。

これだけで発作を防ぐ事ができます。

どうしてもと言う場合は、病気を知ってくれている一緒にいて、安心できる友人などと行動するのもいいと思います。

安心できる人と、行動する事でもしもの発作が起きた時を想定しても不安が一つ減り、起こりにくくなるものです。

私の場合は子供です。日常には、子供がいるので昔に比べ今は発作の頻度もかなり少なくなりました。

 

同じような病で悩んでる方達へ、私が言える事は厳しいかもしれませんがパニック障害は、精神疾患の中では、そんなに大変な病では、ありません。

もちろん初めての発作、対処法がわからないまま繰り返す発作で不安になるのは、とてもわかります。

でもこの病は、自分で防ぐ事もでき、発作が起きた時のその場を離れる事で治まるものです。

きっかけは、人それぞれ違うかもしれませんがパニック障害についての程度は人によりそれほど変わるものでは、ありません。

子供がある程度の年齢になったら、

「ママが〜な風になったら〜してね。」

と伝えておく方がいいと思います。

横で何もわからず苦しそうなママの姿を見ている子供は、発作を起こしてる私達より、不安でいっぱいです。

大人でもわからないのに、子供になんて言っても分からないのでは。と思うかもしれませんが、〜だからママは〜が嫌なの。怖いの。と伝えていけば思ってる以上に分かってくれるもんです。

私も子供に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、こんな私のところに産まれてきてくれた天使達。

大好きなママの事を知りたくない子なんかいません。どんな子でも笑ってるママが好きです。

大人の問題、自分の問題、と閉じこもらず気持ちや考えを家族や子供と共有していく事も大切だと思います。

 

大阪府/33歳/H.H/女性

パニック障害になった経緯

パニック障害だと判断されたのは、パート勤めをしていた職場でのことです。元々ストレスがグッとくると一気に目眩(めまい)がするので、服用すると3~4時間効果が現れる頓服の抗不安薬をもらっていました。

しかしその職場では、抗不安薬を服用するも、目眩(めまい)は治まっても胸やけ、頭痛、動機、下痢が止まらず、早退した時が多々あります。

これは流石におかしいだろ、と心療内科の先生に相談したところ、「パニック障害」だと診断されました。

その職場はとても陰湿で、上司をはじめほぼ全職員の人が、徒党を組み、いじめのターゲットを決めてその人を無視する、悪口を言うなどと幼稚なことばかりをしていたり、常連や顧客のお客様にでさえ陰で悪口を言っていたりと、40歳オーバーの人達がやることではないだろう!?と思っておりましたが、生活費を稼ぐため、続けていました。

しかし、私がいじめのターゲットになり根も葉もない噂をされ、休みの日でさえもラインで悪口を言われる、などといった経緯が重なり、いよいよ体調も悪化した私は、その職場を退職しました。

育児の困難

パニック障害になって、困った事があります。

それは、いくら自分の具合が悪くてもやらなくてはならない「育児」。いつ襲ってくるかもわからない、強烈な目眩(めまい)、吐き気、頭痛。立っていられないので、急いで頓服を飲んでも、効くまで数時間かかります。その時は娘に大変申し訳なく思うのですが、横にならせてもらっています。

幸いうちの娘は、私が昔から体調崩しやすいのをわかっていて、ある程度の時間つぶし、飲み物などを預けておけば、大抵一人で遊んでくれます。

そして、毎度言われます。

「ママ、大丈夫?具合悪いの?○○ちゃん(自分)お利口さんにしてるからね。大丈夫だよ」

その言葉を聞くたびに、自分がいかに情けないか。まだ年少にもなっていない娘。下に兄弟がいるわけでもなく、完全なる一人っ子で、まだまだ甘えたい盛りの子供なのに、私の体調を気遣って我慢している思いがひしひしと伝わってきます。

そうゆう子供に育ててしまっているのは、私です。

過去に私が具合悪かったとき、娘がわがままを言うたびに私は怒鳴り散らしてしまっていました。大人でも言われたら傷つくだろ、と思うような汚い言葉を娘に浴びせてしまったことが多々ありました。そんな私に、おそらく娘は怯えているのだと思います。いつだって、私の顔色を見ているので。

家族のパニック障害についての理解は、無いに等しいです。

うちには同居している実母がいます。なので、本当に動けなかったら実母に頼めばいいじゃないかという案も出てきますが、実母は「うちの娘に限って心の病など患うわけがない!うちの娘は単なる甘えだ!」と言って、私が体調悪くてもレバーを無理矢理食べさせる(貧血だと思い込んでいる)などと言った感じで…理解は得ていません。また、子供の世話は母親がやるべき、という考えを持っているので、預けるなんて到底できっこありません。

主人もパニック障害について理解をしていません。

というか、私自身に興味がないのだと思います。いくらパニック障害について説明しても、「パニック障害?ふーん」といった態度で、次の日には完全に忘れています。なので、理解者を家族に求めるのは諦めています。

自分と向き合ってみて子育てについて思うこと

パニック障害は、いつ襲ってくるかわかりません。自分の意思とは裏腹に、少しのストレスでもそれが引き金になって寝込むことさえ頻繁にあります。

私はまだ薬療法している最中です。

生活費のため、また、自分が動いていないとダメな性分のため、仕事に出たい気持ちでいっぱいなのですが、「もしも次の職場でも症状が出てしまったら…仕事に迷惑がかかる」と考えると、とても再就職する気持ちにはなれません。

仕事していなければストレスも早々かかることがなくなり、子供に迷惑をかけることも減ります。仕事をしていない今でも、突然襲ってきて寝込むことが多々あるのですから、仕事をはじめたら更に悪化することは確かです。

まだまだ甘えたい盛りの娘。子供らしい行動をしてもらいたい。それが私の思いです。子供の時にしかできないことをやらせてあげたいのに、それをやらせなくしていまっているダメな母親だと痛感しています。

わがまま言って、泣いて叫んで、ダダこねて。可愛いと思えるのは、今しかないと思っています。

私は怖い存在だと、恐怖心を与えてしまっているのは変わりのない事実です。変わりのない事実だからこそ、私の体調が良いときは、愛でます。たくさん愛でます。遊びに付き合うのはたまに辛いときがあるので、基本的にはたくさん抱きしめます。

具合が悪くて寝込んでいて、体調が治まったらまず私がすることは抱きしめながら謝ることです。「ごめんね、ママまた具合悪くなって寂しい思いさせて…本当にごめんね。もうママ具合良くなったよ。ありがとうね。」と毎回謝罪と感謝の言葉をかけます。

その言葉と抱擁をすると、娘は屈託のない笑顔で「ママのこと大好きだよ。」とつたない言葉で一生懸命言ってくれます。

パニック障害では、気負いしすぎずに、まずは自分を受け入れる

子供は素直です。そして、どんな母親でも受け入れてくれる絶対的な存在です。いくらパニック障害を患っていたとしても、子供には関係ありません。かといって、すぐに良くなる病気でもありません。なので、迷惑をかけている子供に、ママの気持ちをきちんと言葉と態度で示してあげればいいと思うのです。

子供は母親を一番良く見ています。辛い思いをしている母親のこともきっと理解しています。

「うちの娘に限って!」などといった固い頭ではありません。「パニック障害?ふーん」といった興味なしの関係でもありません。子供は、母親の一番の理解者だと私は思っています。

だからこそ、子供だから何言ってもわかんないだろうと思うのではなく、あくまでも自分の数少ない理解者だと思えば、投げかける言葉も、対応も、自然と子供に行えます。

早く治さなきゃ!と焦ると、余計に悪化します。

まずは自分の不安定な体調を自分自身で受け入れて、具合悪くなっているときはいたたまれないとは思いますが、具合がよくなった時に、子供に体調が悪くて出来なかった時の分までたくさん愛でていけば、少しずつ自分の症状もよくなっていくのではないかと、私は思っています。

 

女性/A.H/千葉県/31歳

パニック障害になった経緯

パニック障害を発症したのは大学1年生の時でした。突然例えようもない不安感が押し寄せてきて心拍数が早くなったり、目眩(めまい)が起きたり、浮遊感が出るということが続き、受診したメンタルクリニックで薬をもらうようになりました。親との関係性に悩んでいたこと、そして当時受験していた資格試験の成績が思うように上がらず悩んでいたことなどが原因だったと思います。

妊娠時にパニック障害で困ったこと

投薬期間は5年ほどで、妊娠前にはもう薬は飲んでいませんでした。体調が悪い時や睡眠不足の時などに、時々パニック発作が起きる程度だったのですが、妊娠後は「赤ちゃんがお腹で死んでしまったらどうしよう」という不安感に襲われるようになりました。

  • 「今自分が突然死んだら赤ちゃんも死んでしまう」
  • 「胎動が少ないのは赤ちゃんに何かあったのではないか」

など、悪いことばかり考えてしまい、不安になって心拍数が上がり、しょっちゅう発作が起きるようになってしまいました。

つわりもひどく、貧血もあり、パニック発作もたびたび起こるということで、妊娠中はとにかくずっと具合が悪かったです。

パニック障害での妊娠中の対策

メンタルクリニックを受診して薬をもらうことも考えたのですが、「この薬を飲んだことで赤ちゃんに影響が出たらどうしよう」という不安感が強くなってしまう気がしました。そこで投薬以外の方法でパニック発作とうまく付き合っていけるよう、いくつか対処法を考えました。

まず「万が一意識を失ったとしても大丈夫」と自分に言い聞かせるため、母子手帳と病院・親族への連絡先をまとめたメモを、必ず持って歩くようにしました。また私は発作が起きた直後に、口の中に何かを入れると気がまぎれたので、アメやガム、チョコレートやラムネなど、すぐに食べられるものをカバンの中に入れておきました。水も必需品でした。

私の場合は一人で部屋にいる時の方が、「何かあっても誰も気づいてくれないかもしれない」と不安が強く出てしまったので、できるだけ仕事に行き、夫に家にいてもらえるようにしました。私の場合は仕事をしている時の方が、周りに常に人がいることもあり、発作が出にくかったです。

また夜間に目が覚めてしまうと不安が強くなりやすかったので、昼寝は短時間にし、できるだけ散歩など、無理のない範囲で体を動かすようにしていました。妊娠後期は特に目を覚ましやすかったのですが、どうしても寝付けない時は、無理やり休もうとせず、本を読んだりしてリラックスするようにしていました。

出産時にパニック障害で困ったこと

第一子の時は普通分娩だったので、陣痛に耐えることといきみ逃しに必死で、パニック発作を起こす余裕もありませんでした。第二子の時は無痛分娩にしましたが、痛みが少なく余裕があるためか、麻酔を通した時などに一気に不安が襲ってきて、心拍数が上がってしまったり、嫌な汗をかいたりしました。ただ、体には常にモニタがついており、助産師さんも「数値的には何も問題ありません、大丈夫ですよ」と何度も声をかけてくださったので、最後まで乗り切ることができました。

出産後パニック障害で困ったこと

出産後もあまり体調は芳しくなく、鬱のような症状が強く出たり、パニック発作が繰り返し起こったりすることが続きました。倒れるほどではありませんでしたが、発作後の疲労感が強く、特に第一子の時は慣れない育児の疲れもたまり、毎日フラフラしていたと思います。

また赤ちゃんに関する不安感も強く、抱っこしている時は「うっかり落としてしまったらどうしよう」と思い、眠っている時は「息が止まっていたらどうしよう」と心をすり減らしていました。夜中に目が覚めてしまい、何度も子どもの息を確かめたりしていました。夜間授乳もしていたので、常時睡眠不足でした。

パニック障害を抱えて妊娠・出産・育児を行う方へのアドバイス

まず妊娠中ですが、私は妊娠糖尿病になり、血糖値の上がりにくい食事へ切り替えたところ、パニック発作が出にくくなりました。血糖値の乱高下がパニック障害に影響するという説もあるようですので、食事の時は繊維質の多いものから食べる、甘いものを食べ過ぎないようにする、といったこともオススメです。

また私のように「お腹の赤ちゃんのことが心配で不安が強く出てしまう」場合には、今は赤ちゃんの心音を聞くことができる機械などが手に入るようですので、そちらを利用するのも良いかもしれません。

出産時についてですが、普通分娩の場合はおそらく発作よりも陣痛の方に気を取られると思うので、あまり心配しすぎなくても大丈夫だと思います。無痛分娩の場合は、私のように発作が起きる可能性もありますが、病院内で常時モニタもついている状態ですので、何かあれば助産師さんや看護師さんがサポートをしてくれます。

出産後は、私は1年ほどかけてゆっくり体調が回復し、パニック発作も出にくくなっていきました。個人差がありますが、心身の回復には時間がかかるものだと思って、もし妊娠・出産で一時的に症状が強く出るようになってしまったとしても、あまり気を落とさないでくださいね。「出産後はホルモンバランスも崩れるし、心も不安定になるものだ」と思って、必要であれば投薬などでバランスを取りながら、ゆっくり産後の生活に慣れていくのが良いと思います。

私は、特に第一子の産後、「妊娠中体調が悪くて休んでばかりだったから、産後はがんばらなくちゃ」と思い、育児も仕事も、体力が戻りきらない状態で無理をしてしまったと思っています。また思うように体が動かないことに苛立ち、ストレスもためていました。産後すぐに元の体調に戻る方もいらっしゃるようですが、私は無理を続けたせいか、「体調が戻った!」と実感するのに2年ほどかかりました。急がば回れの言葉通り、産後は焦らず、休養を大切に過ごしてくださいね。

 

女性 / H.A. / 東京都港区 / 34歳